20231019
昨日はexloversの来日大阪公演に声を掛けていただき、5年ぶりにWallfowerでライブをしました。
僕にとってこのライブが持つ意味はとても大きく、短い言葉で感想を纏めることはできないと思ったので、できるだけ自分の気持ちに正直に、思いの限り、書いてみようと思います。
exloversやPAINS、80〜90'sのインディーポップやシューゲイズといった音楽の眩しさに夢中になって、後先考えずにその光の中に飛び込んだ、20歳の頃の自分がいました。
大学も碌に通わず、真面目に就職活動もしなかった、あの頃の僕にとって、音楽や音楽を通じた表現は人生の全てでした。自分の若さの全て投じて、憧れのバンドのようになりたいという一心でした。
自分が何者なのか、何をやりたいのか全く分からず、何も上手くいかなかった自分にとって、夢中になれるのは音楽や物語の世界だけでした。そんな自分が大事に集めたきらきらしたものを拙いながらも閉じ込めて作った曲たちが、インターネットを通じて国内外の音楽ファンに受け入れてもらえたことは、人生を変える出来事でした。
それから、fastcut recordsに出会えたこと、The Pains of Being Pure at HeartのKipが来日公演に声をかけてくれたこと、台湾や中国、そして憧れの舞台であるNYC Popfestでライブをできたこと、大好きな音楽を手がけたIan Cattが制作に携わってくれたこと、たくさんの憧れのバンドと共演し、僭越にも肩を並べたような錯覚を感じることができたこと、素敵なことがたくさん起きました。
自分の人生の意味や「自分の価値」はここにあるのだと思いました。
夢が叶ったといっても過言ではなかったと思います。
でも、夢の先にも人生が続くことを全く分かっていませんでした。
僕らが好きな音楽は好きな気持ちだけで暮らしていけるものではなく、音楽を続けていくための生活が必要なものでした。決して「生活をするための音楽」をしたくないと強く思う一方で、「音楽をするための生活」とも向き合うこともできなかったのだと思います。
夢が叶ったら、その輝きを大切に持ってエピローグのような生活を続けていくか、あるいは、そこで人生が終わると信じていたのだと思います。
大学を卒業し、だんだんと生活が変わっていきました。ぼんやりとしたモラトリアムの時間から社会に放り出され、自由な時間や心の余白は無くなり、聴く音楽もより逃避的なものに変わっていきました。いま思えば、自分は上手く歌うことや楽器を演奏することといったミュージシャンとしての手札を増やせなかったものの、インプット(聴くこと・影響を受けること)を突き詰めることで、アウトプット(曲を作ること)と整合させることに長けていたのだと思います。
そんな自分にとって、無心で音楽に耽溺する時間を取れなくなることや、インプットとアウトプットの整合性を失うことは大きな損失でした。
そして、「自分の価値」が音楽にあるからこそ、インディーポップというジャンルとしての様式美やリスナーを意識した、オルターエゴとしてのバンド像を大切にしすぎるようになり、だんだんと他者の目にも縛られていくようになりました。最初は自分が美しいと思う音楽を作っていたはずなのに、いつの間にか「他者が共感する価値観」に引っ張られて背伸びをしてしまい、何をやりたいのか分からなくなっていきました。
結果として、上手く曲が作れなくなっていき、同時に制作のハードルが高くなっていきました。新しい曲を作れないこと、早くアルバムを出さなきゃいけないのに納得のいく音源が作れないことにフラストレーションが溜まっていきました。また、順調に音楽を作り続けている周囲の友人やミュージシャンへの劣等感も感じていたと思います。
そして、このころの自分にとってライブをすることは、理想像と自分の乖離をありありと見せつけられ、他者の目に晒され、そして答えが分からなくなる、苦痛な場でもあったと思います。
「やらなきゃいけないことをやれていない」「頑張れていない」ような気持ちが常にあり、好きで仕方がなかった類いの音楽を聴くことや曲を作る行為自体が、だんだんと辛くなっていきました。
夏休みの宿題が終わらないまま迎えた8月31日のような毎日だったと思います。
最初は「音楽」が「生活からの逃避」であったのに、徐々に「音楽からの逃避」として「生活」を位置づけるようになっていきました。
そんななか、転職をして一時的に関西を離れたことや、今の妻との出会ったことをきっかけに生活を立て直そうと思い、2018年に、なんとかアルバム『Ever After』を纏めて発表しました。
ようやく自分を縛りつける音楽から解放されたような気持ちでした。これでようやく終われると思いました。
しかし、「自分の価値」は音楽を作ることにあるという気持ちは拭えませんでした。
今度は「新しい音楽活動をやらなきゃいけない」という気持ちに駆り立てられました。何をやりたいのか、やれるのかも分からないのに、ただただ「やらなきゃいけなかった」のです。
妻との新生活が始まり、ようやく地に足をつけて働きはじめながらも、どこか逃げているような気持ちがあって、別の誰かの人生を歩んでいるような現実感のなさもありました。
全てが新しい生活の中でもがきながら、もがくことが音楽からの逃避となってしまう二重の苦しみがありました。
そんな自分にいくつかの外的な変化がもたらされました。
ひとつは、コロナ禍です。コロナ禍によってライブ活動の継続が難しくなったことで、多くのミュージシャンが音楽活動との向き合い方を考えたと思います。ライブハウスや音楽活動自体が害悪という印象すらあったと思います。
コロナ禍の状況は、自分にとって、「音楽をやらないこと」を正当化されるという意味を持ちました。
また、ステイホームによって、大学生ぶりに膨大なインプットと思考の時間を得られたのも大きかったと思います。アウトプットを意識しない純粋なインプットの時間は、新しい発見に満ちたものでした。
そして、何より大きかったのは、子どもが産まれたことです。子どもの前では自分はただ存在することに価値があり、初めて「音楽をやらない自分」が無条件に受け入れられたような感覚を得ました。
ここにきて、ようやく自分は正当化された逃避ではなく、本当の意味で「音楽をやらなきゃいけない自分」から解放されはじめたのだと思います。
「自分がやりたいことや自分の欲求とはなんだろう?」と内省を繰り返し、自分の感覚や感情を大事に生きていこうと思いはじめました。
もう何年間も「音楽をやっていない自分には価値がない」と思い、自信を持てず、他人を遠ざけていたことにも気がつきました。
古い友達が連絡を取って会いに来てくれたことをきっかけに、人と通じあう瞬間を強く求めていることにも気がつきました。長いあいだ疎遠になっていた友人たちに連絡を取りはじめました。
「Transition(内的変化)」という言葉がありますが、まさに自分にとって、Transitionが起きはじめていたのだと思います。
このライブのオファーを頂いたのは、そんな最中でした。
当初はとても複雑な気持ちでした。
いままさに自分は「音楽をやらなきゃいけない自分」から解放されつつあり、自分自身と向き合いはじめたところでした。
メンバーには「8:2でやりたくない気持ちが強い」と伝えました。他者に決断を委ねたと後悔しながらも、「やらない」と言い切らないところに、迷いがあったのだと思います。
メンバー全員から「やりたい」という返事をもらい、今回のライブに出演することになりました。
どうして強く断らなかったのだろうと後悔を繰り返しながらも、もう一度音楽活動と向き合うきっかけを得たことは自分の内面にさらなる変化をもたらしました。
「自分」と「音楽」の関係を改めて考えなおすことで、過去の自分と初めて向き合うことができたのだと思います。冒頭から書いてきたような自分の心境の変化を受け止めることができたのも、今回のライブがきっかけでした。
親に幼少期からの自分について尋ねたりしながら自分の成り立ちを確かめ、特に18歳ころから今日までの自分の価値観を形成するに至ったストーリーを振り返りました。音楽をはじめたころの気持ちを振り返るのは痛みを伴うもの(めちゃくちゃ恥ずかしいmixiの日記を読み返したり)でしたが、はじめて「他者」として自分と出会えたような気がしました。
あるとき、このライブを「音楽をやらなきゃいけなかった自分」との決別として、「終わらせる儀式」として位置づけようと決めました。
あの頃、exloversの音楽に夢中になっていた自分と再会し、楽しく辛かった日々を振り返り、そしてそんな自分に手を振って笑顔で別れられるような日を迎えることができればいいと思いました。
ある意味で最後のライブだと思うと、練習にも気持ちが入りました。
ギターを弾くことや歌うことの練習から始め、ほぼ毎日、子どもが寝たあと20分間の練習を続けました。
そこで気がついたのは、毎日少しずつ自分の身体を上手に使えるようになっていく楽しさです。だんだんと自然に歌を歌えるようになり、肩の力を抜いてギターを演奏できるようになりました。今までの何者かになるための切実な「やらなきゃいけない」練習ではなく、「やりたい」練習になっていったのだと思います。
毎日の日課としての練習が少しずつ楽しみになりました。
また、ライブの告知を行うと、予想外にたくさんの方から反応をもらうことができました。
とても嬉しいことでしたが、やっと「他者の目」から解放されつつある自分にとって、多くの方の期待を背負うことは辛いことでもありました。「嬉しい」と感じている自分の気持ちが、偽りのない事実だと受け止めるのにも時間がかかりました。
メンバーとも久しぶりに集まりました。
この数年間、誰よりもメンバーに会うことがもっとも気後れすることでした。「やらなきゃいけないこと」をやれていないことをありありと実感してしまうからです。
でも、いざ集まってみて、一緒に音を鳴らしてみると、とても心地よく、懐かしさと新鮮さを同時に感じました。
メンバーに言葉で気持ちを伝えることはできませんでしたが、それぞれがこのライブに向けて練習をしてきてくれたり、あるいは別の複雑な気持ちを抱えていることが伝わり、何かを共有しているような気がしました。
そして昨日、ライブ当日を迎えました。
会場に入ってみるとやっぱり緊張を感じながら、それでも、同時に懐かしい慣れ親しんだライブハウスに、あの頃のいつものメンバーと居ることに安心も覚えました。
ライブが始まりました。
集中と緊張のあいだを行き来しながら演奏しつつも、メンバーとの演奏に身を委ねることの心地よさや、自分達の演奏を気持ちよさそうに聴いてくれるお客さんの姿を目にする喜び、自分の作った楽曲を演奏という形で表現すること、人前に立つ気恥ずかしさと嬉しい気持ち、バンドでライブをするという体験・その瞬間をただただ感じることができました。
MCのくだらない掛け合いや、一生懸命演奏するメンバーの姿もとても愛しいものでした。
何よりも嬉しく、特別に感じたことは、ライブをしなければ会えなかった人たちと再会できたことです。長い時の隔たりを感じさせない、会話を交わしてくれたことです。
僕らの演奏を心地よさそうに聴いてくれる姿に、自分を受け止めてくれる喜びを感じました。
ライブが始まるまで、あの頃の自分に見せるような理想的なパフォーマンスをしたいと思っていました。けれども、いざライブが始まると、そこにはありのままの自分がいました。
どれだけ練習しても気持ちが変わったとしても、きっと自分は伏し目がちに演奏をしてしまって、聴衆に全てを委ねるようなオープンな表現や扇動するような演出はできないと思います。
ただ、そのありのままの演奏を受け止めて楽しんでくれる人たちがいることは紛れもない事実で、「自分が意図しない自分」を受け止めてくれているのだと分かりました。それは、とても特別なことだと思いました。
自分たちのライブが終わり、exloversのライブが始まりました。
正直なところ、自分がライブをすることと向き合うのに必死で、今日の今日までexloversの音楽と向き合う準備ができませんでした。
ただ、演奏が始まってみると、そのまっすぐな姿勢や真摯に演奏する様、この瞬間にすべて委ねている様子に驚きました。11年間という時の隔たりによる気後れを全く感じさせない演奏でした。
そして、あの頃、自分の人生に寄り添っていたexloversの美しいメロディーは、今も変わらず自分の心を打ちました。
あの頃、夢中になった音楽は代りの利くものではなかったのだと、きっかけは何でも良かったのではなく、自分はこの音楽を自分のものとして選び取ったのだと、改めて実感しました。
この時間がずっと続いてほしいと思えるような瞬間も何度も訪れました。
たしかにあの頃の自分が人生を投げ打つだけの輝きを放っていました。
exloversのメンバーも僕らのライブを見てくれました。
ライブ後、ボーカルのPeterに「僕らは5年前に解散状態になったけど、exloversのライブに誘ってもらってライブをすることを決めた」と伝えると、しっかりと目を見て「音楽を続けるべきだ」と優しく言ってくれました。
リップサービスなのかもしれないけれど、その言葉には確かな重みがありました。
もしかしたら、彼が彼自身に放った言葉なのかもしれません。
ライブから一夜が経ち、すっきりとした気持ちと共に、少し寂しさを感じています。
僕はもう「音楽をやらなきゃいけない自分」ではありません。
これからは、音楽をやってもいいし、やらなくてもいい。
会いたい人にはいつでも会いたいと言えます。
けれども、今はまたいつか素敵な時間を過ごすことを夢見ながら、ときどきギターを触ったり歌を歌ってみたいと思っています。
またいつかライブをする機会があれば、その時はぜひ来ていただけたら嬉しいです。